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(12)梅花の伝統、どう思います? |
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| ようこそ、ポピーの世界へ!ステキな女性のあなたへ今日は『伝統』について、お話したいわ。あなたが自分で考え自由に賢く生きていこうとしているのに、時としてあなたを阻むのが『伝統』などのしきたりや慣習だったりしますね。あなたの《聡明で美しい脳》は、どう対応して来ましたかしら? 『伝統』は、良い伝統とか悪い伝統と判別するより、役立つ伝統か否か!の方が重要ですね。平和に役立つ、保護に役立つ、成長に役立つ・・そうであれば、その伝統や慣習は人類を平和と幸福にするでしょう。無駄な伝統、疲労困憊だけの伝統、形式や立場だけを強調する伝統なら、不要です。 こんな簡単明瞭な答えなのに、何故か人間は《立派な脳》を使いもせずに『伝統』に関しては〈曖昧模糊〉のままで過ぎ去らせてしまっていますね。 《聡明で賢い脳人生》を送るには、この分野の〈曖昧模糊〉の中を探求し吟味してあなた自身が行動を起こさねばなりません。何故なら、無益で害になる伝統はあなたを金縛り状態にして、真に〈生きる喜びの質を低下〉させるからです。逆に、効果的な伝統や慣習はあなたに歓喜を与え、広くし豊かにするでしょう。 今日から、身近にある「伝統」や慣習の一つ一つについて、感情を排除して冷静に黙考してみませんか。そして両極端な結論ではなく現実に即した結論を出してみて下さいな。あなた自身の環境や立場、状況に適用させるなら優れた「伝統解釈」となり、報いがあります。 時と場合によっては、事実よりもあなた自身の「解釈の仕方」の方が人生を左右することもあるのですから・・どんな立派と思える人からであっても、その人の意見で決めてはなりませんよ。あなたが自ら調査し決定していきましょうね。 でも「釈迦に説法」と言われますが、人は皆完全無欠ではありませんから敬意を持っての傾聴そのものは益になるでしょう。しかし、飽くまでも「参考」にとどめましょう。何故なら、あなた自身の事なのにあなた以外の人に!どうして責任を転嫁できるでしょうか? これは、ただあなただけが「自分の人生における責任を果たす」という、不可侵の真理なのですから。あなたには《あなただけが所有する脳》があるのです。この神からの贈り物を充分に活用しませんか。誰にも支配させてはなりません。 そしてあなたは自分で選択したなら、その責任を負って生きなければなりません。「伝統」や慣習についても同じですね。ある梅ノ木の判断をあなたはどう思いますかしら?楽しみながら読んで考えてくださいな! 穏やかな冬の昼下がり、私は坂道を下り湖面を散歩中の若い黒鳥のコクチャンに「真紅の口ばしが黒い羽にとてもよく映えているわ。首も細長くてステキねぇ」と声かけた。恥ずかしそうにするコクチャンを笑ったその時でした。ホンノリフワ〜ンと花の香りがしました。辺りを見回すと小指ほどの大きさの女の子が湖の上空2メートル位の空中で北風に乗って緩やかに踊っているのです。ゆったりした頭巾、長めのスカートも・・全身薄紅色で覆われ・・それはそれは優しい〜甘酸っぱい香りを放ちながら可愛い笑顔を見せるのです。クルッと女の子が廻ればそこら中が香るのです。私が驚いているとコクチャンが突然『あの子はヒュポラ、花の香りですよ』と言う。見逃さないようにして付いて行く事にしました。湖に沿って追いかけて5分でしょうか、小さなトンネルを抜けたら・・そこは風の故郷そして桃源郷でした。でも桃の花ではなくて「梅」の花薫る梅林の世界です。元気な紅色、透ける白色、優しい桃色がランダムに精一杯満開で何千本も咲いているのです。むせる様な強い香りではなくヒュポラと同じホンノリ甘酸っぱく心地良いのです。私もヒュポラを真似てクルクルと梅林を踊りながら冬の太陽に輝く梅花を楽しんでみましたの。すると『クスクスッ!』と偲び笑う声が聞こえたので、慌ててその場に佇むと右手の老木の白梅が『ようこそ、梅林へ』と迎えてくれました。「はじめまして!ここは梅の世界ですよね。ユートピアをひと時味わってよろしいでしょうか?」と訊くと『勿論です。でも、ユートピアになるまでの経緯を聞いてくださいな』と答える。夕暮れまでに時間もあるのでじっくり聴くことにした。彼女の話はゆっくりだが無駄がなくとても上手で、内容も興味深いものでした。梅のユートピアの始まりは遠い昔江戸時代からとの事。何百年もの樹齢を重ねた老木が殆どのようです。長い間、皆仲良くやってきたのだそうです。嵐、洪水、戦災などを共に乗り越えた経験も彼女達を強い絆で結ぶものとなり、まさに梅林社会は平和だったようです。でも、今から30年程前に彼女達の伝統について大きな試練があったというのです。名づければ『由緒正しい梅言葉(うめことば)』の廃止事件!『由緒正しい梅言葉』は、お殿様の鑑賞梅林として古い歴史を誇りとする彼女達には自らのステータスを証明する保証書のようなものでした。梅同士が話す言葉遣いは常にそれに則り、それを崩す言葉遣いは彼女達の自尊心が消え失せる程の恥でした。ところが、時経つ内に老木の中には枯れ行くものもあり、代わってその場所を埋めた梅の木々は若くて『梅言葉』を話せません。昭和時代に植えられた木に無理やり強制する老木も多くいる一方で自由を認める老木も居て、やがてここの梅社会は分裂したというのです。誰が立派な花を咲かせる優れた樹なのかと競争も激しくなり、観梅に来る人間の誉め言葉を受ける樹は仲間の嫉みと攻撃に遭い、翌年は咲く事も香ることもままならなくなり枯死していく始末だったと言うのです。『由緒正しい梅言葉』を守ろうとする保守派であろうと自由を重んじる改革派であろうと、枯れていく樹が後をたたず十年間で三分の一は材木として片付けられたのだそうです。白梅老女はどちらの派だったのでしょう?尋ねたかったのですが周囲一帯の木々が耳を澄まし、白梅老女の一言一言に梢を揺らし揺らし頷くのですから・・私は躊躇し、知らないままの方が賢いかも・・と判断しました。そんな時、左手の薄紅色で八重花弁の老木が悲しそうな声で『私が愚かだったのです・・』とポツリと洩らします。その声につられる様に数メートル離れた場所からも『私もです・・』『いいえ、私です・・』と次々に声があがり始め、梅林は風もないのに大きく波立ち赤と白のピンクの花びらが青空を背景に一つになりヒラヒラと舞い散ります。そして香りと一緒に花吹雪となり私を包みました。白梅老女が冷静に・・然し大声で『もう、済んだ事なのです。皆さん!過去に捕われるのは時間の無駄です。今日、この瞬間の平和を楽しみましょう!』と叫ぶと静けさが戻りました。そして彼女は話を続けます。『梅言葉』の伝統廃止になった大詰めの説明です。昭和のそんな時期に植えられた一本の木の登場談でした。若いこの梅ノ木は、どちらの派にも心奪われずにただひたすら自らの成長と喜びにのみ集中できる梅花だったそうです。自由に、紅梅にも白梅にも思い通りに咲き分け『梅言葉』などの伝統を良い意味で無視し、改革にも無関心。利己主義や身勝手との非難を受けても一向に動揺せず自分を確立させていたようです。自分に対する評価や称賛にも淡白であり自分の価値を変えるものではないという態度。自分で正しいと判断すれば足元の雑草達とも友となり・・ちなみに梅の木は雑草と話すことは卑しむべき事とされていたそう・・毎年若いながらも見事な花を咲かせ、その香りは梅世界の隅まで行き渡り、やがてヒュポラという五センチほどの可愛い香りの子が住み着く結果となったそうです。その姿勢に徐々に影響を受けた老木達が自らを省みて悔い始め、数年後には『梅言葉』という単語さえ口にする事もなくなり平和が戻ったというのです。なるほど・・と感心しつつ私は急いでヒュポラを捜した。いました!梅林の奥へ招いてくれています。そしてそこには話どおり、伝説の若い梅ノ木が夕陽に輝いて咲き光り、細い梢の端まで生命力が溢れていました。太さや大きさこそ老木には敵わずとも、透けるほどに優しい一重の花の紅白ひとつ毎に瑞々しい香りが宿っています。感嘆の思いを込めてインタビューさせていただきます。「あなたの自己実現の秘訣を?」と私。彼女はリラックスしたまま『秘訣などありませんよ。私は自分の内の成長に関心があるだけです。だから他の問題に関わる暇がないのです。昨日を忘れ明日を心配せず、今日の瞬間を成長に繋がるようにして、思うままに生きている・・それだけ!・・』と答えながら、ヒュポラに微笑み足元の草とジャンケンを始めました。「ありがとう〜!さようなら」と告げて私は梅花薫るユートピアを後にしました。帰りの道々ほんの少し残念と思いつつ・・。何故って?それは『由緒ある梅言葉』って、どんな言葉遣いだったのか好奇心があるのですもの。永遠に耳にする事が出来なくなった言葉ですから、ちょっぴり聞いてみたかったですね。ヒュポラにも触ってみたかったわ。(完) 私ポピーは、「伝統」破りを薦めるものではありません。頑固に保守するものでもありません。あなたは如何でしょうか? 害になる伝統を改革し、新しくするには大いなる勇気が必要ですね。新約聖書を見ると、イエス・キリストは同族の宗教指導者の重んじる『由緒正しい伝統』を破り続けました。下層の人々にとって重荷となっていた伝統を〈勇気と愛〉によって破ったのです。その事は、結果として宗教指導者にも一般の人々にも同時に益となりました。そしてキリストご自身にとって最大の喜びでもありました。しかし、愛と哀れみに裏付けられた伝統には従ったのです。盲従ではないこの〈識別力〉をあなたの人生に是非とも加味してくださいな。《美しく賢い脳人生》を送る為に! |