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テーマ:ジョイ猫物語 第四章(5)
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『「死んだら終わり!なのよ。何もかもね。それ以上でも以下でもないの。人間は死を受け入れがたいために色々な意味を、死に持たせようとするわ。何としても死人と繋がっていたがるの。
でも、おそらく・・それは人間の空しさと足掻(あが)きが産み出した儚い夢ね。ジョイ!現実は、人も猫も同じ・・死んだその瞬間に時間が止まってしまうの。明日の朝陽を見ることも、緑の木や花も、夕陽も虹も見ることが出来ないの。未来も愛も夢も全て消えるの。生きている命は本当に尊いのよ。だから、死んではいけないし、殺し合ってもいけない。生きていればこそどんな善い事も存在するようになるわ。とにかく生きていることに意義があるの。
その後、私自身も病気になり死と直面した時に、その現実を再確認したのよ。ジョイ!この度は悲しみの淵から上がれないと思うほど辛かったでしょうね。でも、あなたのご主人の死は、教えてくれたわ。生きることこそ素晴らしいのだと・・・。違うかしら?
だから、前へ進むこと。後ろは振り返らないで、今をしっかり生きることだと思うわ。今というこの時間を大切にするのね。生きている命を感謝して味わう!そう、「死」はそれを私達に教えるために存在するものではないかしら?」』
モーリーは淡々と語り終える。
彼女は、ジョイが愛と平和のためなら死さえ辞さないで、命を懸ける若者だろうと判断した結果から答えたのであった。まさに聡明な猫である。そしてモーリーは予感していた。このジョイに我が娘ラブは、きっと好意を持つようになるだろうことを。
なぜなら猫の種類は異なっていたが、ラブの父親と似た特質を、ジョイの内に見たのだ。ラブがジョイへと引き寄せられるだろうことを予測した。
だからこそ、娘ラブのために、そしてジョイ本人のためにも『ジョイには長く生きて欲しい』そんな願いのこもった答えであった。

テーマ:ジョイ猫物語 第四章(4)
『「あの・・少しだけ質問したいのですが、かまいませんか?」』
と、ジョイだ。
『「あら、どうぞ!ジョイ。何かしら?」』
『「実は、もうご存知かもしれませんが、僕の愛する主人が・・・先日、天国というところへいってしまいました。僕は・・・僕は・・・」』
と、ジョイを、悲しみがまたしても寄せる波のように襲いそうになる。
『「ジョイ!いいのよ。ゆっくりでいいので、話してみて・・」』。
モーリーが親切に柔らかな声で励ます。
アニーは今にも泣き出しそうな兄をみつめて心配そうに、グリーンの眼を曇らせる。ジョイは妹の表情に気付き、心を奮い起こす。
『僕は、兄なんだ。妹の前で泣くもんか』
と、涙を呑み込み話を続ける。
『「僕は、死というものについて分らないのです。モーリーは、どう考えているのか・・教えてくださいますか?」』
ジョイの質問に対し、真剣に考え始めたモーリーは遥か遠くを見るような眼で暖炉の炎をみつめながら答えた。
『「ジョイ、私はラブの父親、私の愛する夫を仲間によるリンチで殺され失いました。彼は、雄々しいライオンのような正義と愛に溢れる雄猫でした。彼といると・・自分が力強く生きられる!そんな感覚を引き出してくれたのです。でも、それが仇(あだ)となり正しい事を貫いたために死に至りました」』
『「え、そうだったんですか?死んだのですね。辛かったでしょうね」』
と、ジョイが型どおりの同情を示す。ところが、モーリーは微笑む。
『「ジョイ!あなたは本当に優しいのね。ありがとう!でもね、私はその時から今もずっと、死に関係して一つの確信があるのよ。多分、あなたの望んでいるような答えにはならないかもしれないけど、言わせて貰うわね、ジョイ」』
と、ここで一息入れてモーリーはジョイに向かって座りなおす。そして、はっきりした口調で続ける。

テーマ:ジョイ猫物語 第四章(3)
自分たち猫語の会話を理解できるというのか?いったいリズは何者なのだろう。リズの端正な横顔をみつめながら、その能力に初めて気付き慌てた。しかし、全てお見通しならば自分の今の驚きも気付かれるかもしれないと平静を装った。
婦人たちの会話は続いていく。
「リズの言う通りかもしれないわ。私、この町に来るまではアルトベイク市で暮らしていたの。両親は、私とモーリーの病気のために、引っ越したものだから・・。このモーリーには、そこに娘猫と母猫がいたの。珍しいキムリック種だから・・・もしかしたら、その二匹のどちらかと間違えたのかもしれないわね」
とメラニー。
ジョイは、また驚いた。このモーリーはラブの母猫そしてマリアの娘猫なのだ。あの猫社会の古い掟を破ったとして「追放」の刑を余儀なくされ、病に侵された猫。ジョイが見逃したネズミの親・・・あの時の母ネズミが話していた愛のある猫なのだ。
ただただ驚いているジョイに、妹アニーが嬉しそうに言い出す。
『「お兄様!このモーリーが私の尊敬する大切な年長の友人なのです。今度紹介するって話していた方なのよ」』
『「あ、あ、うん・・そうだったね。そうか、彼女だったんだね」』
ジョイはようやく落ち着きを取り戻した。
彼はあらためてモーリーに自己紹介して、妹アニーが世話になったことの感謝を述べる。その時のジョイは、兄としての威厳があった。モーリーは、マリアの娘猫らしく非常に聡明で、物分りが良く賢かった。なるほど彼女ならアニーを教えて成長させるに値するだろうとジョイは確信できた。
それにしても、モーリーをラブと勘違いし、感情を露(あらわ)にしてしまった自分について暖炉の火を眺めながら反省した。
『僕はどうして、あんなに取り乱したのだろうか?』ジョイは自分でも理解不能である。ラブからマリアへと回想しているうちに・・・突如、ジョイの眼が光り『そうだ!』と、ある閃きを得る。知るべき大切な事を思い出した。
ジョイが知りたかったこと、それは愛する者の「死」についてである。老猫マリアとはいつ会えるか、予想もつかなくなっていた。では、その前に
『マリアの娘であるモーリーなら、答えてくれるかもしれない』
と、ジョイは思った。
彼は、ゆったりと暖炉前でくつろいでアニーと何やら語り合っているモーリーに控えめに話し出す。

テーマ:ジョイ猫物語 第四章(2)
その晩、ジョイはサムの死以来、悲しみの中にも一かけらの希望を感じて、初めての安らかな眠りに入った。
 ここの屋敷内での生活は、これまでのジョイの行動パターンを大きく変えていく。
いつも飼い主家族の賑やかな会話が聞こえ、時々それに入り混じってジョイの名を呼び、行動を促す。慣れないジョイは、時折聞き逃すことも当然あり、戸惑う方が多い。町の人々の出入りも多く、静寂とは縁遠い環境だ。
これまで、どちらかと言えば遁世的であった老人サムとひっそり暮らしてきたジョイには、毎日が珍しく新しい経験だ。窓の外を眺めれば、今は雪景色が美しく、眩しいほどに太陽が反射してキラキラ輝く。地平線が見える広々とした地所に建つ白い建物のこの屋敷は、冷たくない雪の中に溶け込んでいるようであった。建物そのものが自然の一部となっている。そして外の空気がおいしいばかりではなく、家の中が人間の醸し出す明るく楽しい空気さえもがおいしいのである。
妹アニーは幸せに暮らしてきたのだ、とジョイは日毎に確認できて喜んだ。
 ある日、リズの若い女友達メラニーが訪ねてきた。ジョイは、そのメラニー、つやの良い黒髪の女性の腕に抱かれている白い猫を見て驚きの余り眼が釘付けになってしまった。茫然自失(ぼうぜんじしつ)のジョイは自分の居場所を忘れてしまい、思わずメラニーの足元に絡まり始める。そして、腕の中にいる猫に向かって
『「ラブ!ラブ!ここで君と会えるなんて、嬉しいよ」』
と、大喜びする。
何とメラニーの腕の中には真っ白いふわふわ毛のラブそっくりの雌猫がいた。我を忘れて喜ぶジョイ。腕の中の猫が彼を上から眺めて、気の毒そうに答える。
『「まあ、私をラブと間違えたのね。私はモーリーですよ」』
途端に、ジョイは我に返り、恥ずかしそうに踝(くびす)を返して戻る。リズがその様子を観察していた。微笑みながら語りだした。
「ねえ、メラニー、ジョイはあなたの猫モーリーとそっくりの猫を知っていて、間違えたのね。その猫は、おそらくジョイの愛する存在かもね」
年若いメラニーとリズの二人が笑い出した。ジョイは驚きと怖れをなす。

テーマ:ジョイ猫物語 第四章(1)
大四章「虹の一族との日々」
 
「さあ、ジョイ!着いたわよ。あなたの妹のアニーとも会えるのよ。うちの家族ともよろしくね」
ジョイは躊躇することなく、ローズの言われるままに新しい棲家に入った。
迎えたのは、ローズの夫で気の良いセバスチャンとその娘の若い婦人エリザベス、そしてジョイの妹アニーである。
アニーとは、生後一ヶ月頃に別れ別れになっていた。泣き虫で甘えん坊のアニーという記憶しかないジョイである。大人になった彼女を見てジョイは嬉しさの余り「ミャ〜」と、声を発した。
アニーはというと、泣き虫の面影もなく、甘えん坊どころか確りした光のある青い淑女として自分の兄を迎えた。
「ジョイや、暖炉のそばにおいでー」
と、招いたのはローズとセバスチャンの一人娘エリザベス、通称リズ・オマールである。二十代後半のリズは母親とは似ていない細めの身体と小麦色の肌をしていた。髪と眼の色を除けば、横顔が父セバスチャンにそっくりの端正な容貌である。美しい顔貌に加えて母親譲りの鳶色の髪と瞳は少しだけ亜麻色がかり明るさと健やかさを物語っている。
しかし、何にもまして彼女には人の想像を超える不思議な力がある。そのせいか、瞳の奥にはそこはかとない輝きを放つ光が灯っている。まるで蜂蜜色の枯葉の間から一筋の木漏れ日が差し込むときのような目であった。その目が優しい同情心に満ちてジョイをみつめる。
「ジョイ、辛いでしょうに、よく来てくれたわね。偉いねー頑張ってるのね。ねえ、アニー!お兄さんに会えて嬉しいでしょ?」
と、猫達に感情移入された癒しの言葉を述べる。
ジョイの妹アニーはジョイに丁寧に話し出す。
『「お兄様、この度は大変でしたね。しばらく私と一緒にこの屋敷で住む事になりそうです。よろしくね。このあたりの猫仲間は少ないけど・・きっとお兄様の良い友達になるわ。ミャ〜」』
『「ありがとう、アニー!君はずいぶんと大人になったね。驚いたよ」』
『「そうかしら。お兄様こそ、立派よ。私が大人に見えるとしたら・・・それは、何でも指導してくれる年長の友人のおかげだわ。そのうちに紹介するわね」』
この二匹の会話を、雰囲気だけですべて読み取るという超能力を持つリズは、兄妹の猫を交互に見ながら優しく微笑む。これが彼女の特別な賜物なのだ。
動物の心を読むと言う彼女の能力は、公にはされていないが二十年前の五歳のときに両親によって確認され、今に至っていた。しかし、ジョイはまだ気が付いてはいなかった。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(19)
彼女の家族が住む北の田舎町へと、悲しみのドライブがエンジン音と共に始まる。
ジョイは愛する者の死について混乱状態のまま身動き一つせず、ただ優しかったサムのことだけを考えていた。
小さな時からご主人の膝に乗って「愛と勇気のお話」を聞きながら平安と喜びに浸りスヤスヤと眠った午後。いつも自分を見守り、目を細めて「ジョイやー」と語りかけて撫ぜてくれるあの手。金色に光る「JOY」の名入りの首輪を初めてかけてくれた時のサムの感動した表情。ジョイが殺されそうになった時、無事を確認したサムの歓喜の顔。火事騒動の明け方、ジョイを必死に抱きしめて逃げるサムの胸の中の温かな感触。
何があっても、いつも自分の味方だった。何をしようとも、いつも信じてくれた。いつも愛し慈しみ深く守って育ててくれた。自分の成長を喜び、誇ってもくれた。あのご主人サムが、もう僕の元へ帰って来ない。
ジョイのグリーンの眼から涙が溢れ、口元を止めどもなく静かに落ちていく。
 どれ程の涙を流したであろうか・・・やがて、アルトベイク市の名残りもない遠い町並みが窓に映り、冬の太陽が急ぎ足で闇に潜ろうとする頃が近づいていた。ジョイはあの最後に見た主人サムの姿を何度も思い返し「死ぬ」とは、何だろう?と言う疑問に到達していた。
『機会があったら親友バルナバやラファと論じてみよう。でも、きっと僕達では答えが出ないかもしれない。それでは、やはり・・いつ会えるか分らないけど、今度マリアに聞いてみよう』
と、心に決めた。彼女なら経験が多いし、何でも知っていそうな気がした。その後で、自分が猫としてどう生きたら良いのかを考えようと結論した。
『今は、とにかくローズの予定に従う・・・それしか出来ないのだから』と考えられるほど冷静な思考力が戻ってきた。
いつの間にか、見たことのない風景のど真ん中で、車が停まる。
車を降りると、どこまでも広がる白い雪野原。冬の静かな夕陽が遠くの山脈に沈もうとしている。白い雪原が夕陽の茜色をそのままに映し、ジョイのグリーンの眼をオレンジ色に染める。
振り返ると雪と同じ色の白亜の館がジョイの眼に大きく飛び込んできた。

第三章 終わり 第四章へ続く

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(18)
 ジョイが意識を取り戻すと、後ろに束ねた鳶色(とびいろ)の髪をゆったり垂らして玄関の外にいるローズの腕の中にいた。
ほっとしたローズは一度だけ、ジョイを強く抱きしめてから静かに雪の地面に下ろした。ジョイは、妹ローズに引き取られて旅立つことを受け入れる。屋敷を背にして歩く一人と一匹の足跡だけが、新雪の上に彫りこまれた。それは、偉大な芸術家の彫刻のように損なわれることも、二度と踏み重ねられることもない足跡となるだろう。
残された「セピアの館」は、冷たさを忘れたかのような白い雪に優しく溶け込み、煌きを放っている。
門まで来ると、ローズは足を止めた。兄の面影を最後に心に焼き付けるかのように、屋敷を振り返った。
ジョイの方は、屋敷から・・・自分を呼ぶサムの声を聞いたような気がして、思わず踝を返した。
その時、ふたりの目に飛び込んできたのは、銀白色に装った「セピアの館」の屋根を覆う半円形の虹だった。その七つの色は幻想的であり、天上のものか?とさえ思わせるほどの美しさだ。
我を忘れて溜息と共に虹をみつめるローズの胸に去来したのは、自分が垣間見てきた愛する兄サムの生涯だった。彼女は、満足そうに・・・虹を眺めてそっと微笑んだ。
そして、ジョイの眼が見たのは・・・虹のてっぺんに、ゆったりと腰をおろして座っているサムの姿だった。
その穏やかなサムの笑顔は、これまで彼が見てきたどの微笑みよりも明るく、しかも慈愛に満ちていた。そのサムが、ジョイに軽く、見送るように右手を振ったように見えた。
ジョイは、巨大な力に包まれたように感じる。
「ンニャーゴーニャーアーゴー!」
ジョイは、残された力の限りに雄たけびを上げる。その声は、雄々しいたてがみのあるライオンのように強く、王者のような威厳に満ちていた。
ジョイとローズは、愛と平和の大きな虹をマントのように背中に感じながら古い「セピアの館」の門を抜けてローズの車に乗り込んだ。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(17)
『「僕はご主人サムの帰りを待つんだ。どんなに寒くてもかまわない!」』
と、ジョイは叫ぶ。しかし、ローズの頑丈な腕の中からは抜け出せそうにない。それでも、ジョイは抵抗した。
この屋敷にとどまろうとするジョイに気が付いたローズは、それまで口にするのをためらっていた言葉を遂に語ってしまう。
「サム兄さんはね・・・あなたの主人は、もう、どんなに待ってもここには戻ってこないの」
そして床に崩れ落ちるように屈み、ジョイのブルーの毛を涙で濡らす。何度も泣いたであろう、その髪の毛と同じ栗色の眼は、既に赤く腫れ上がっていたのであるが・・・今また、部屋の静けさを破って泣きじゃくる。
『戻ってこないって?そんな事があるもんか。ローズは自分の兄さんを、信じていないんだ』
と、ジョイは考え、ローズの腕の中でまたもやもがいた。従わないジョイに、たまりかねたローズは自分の腕の中の彼に向かって泣きながら叫ぶ。
「ジョイ!いいこと。聞きなさい。サム兄さんはねーお前の主人はね、死んだの!天国へ行ったの。分ってよ、ジョイ!お願い!」
そして、さらに泣き声を増したのである。
驚いたジョイは、頭の中が混乱する。
『死んだ?ご主人が知らない国へ行った?死んだ・・・どういうこと?もうここに戻らないって?そんなことがあるのだろうか。僕を残してどこにも行くはずなんかない。そうだ。大好きなご主人に、もう会えないなんて僕は信じないぞ』
しかし、ジョイはローズに身を任せた。
力が抜けて、三日間の寒さと緊張全てから解き放たれたからであろう、気を失ってしまったのである。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(16)
 そして、サムが運ばれて三日後の昼過ぎ、車が庭にとまり、ドアが閉じられる音でハッ!とする。やがて玄関の開く音。二階の窓辺の陽射しを浴びながら力なく横たわっていたジョイは、一瞬にして蘇った勇者のようになる。
『ご主人だ!やっぱり帰ってきたんだ。よし!今日は食事の後で「愛と勇気のお話」を聞くんだ』
と、一目散にしなやかな体で玄関へ降りる。ジョイのロシアンスマイルが久々に戻った。
しかし、そこに見たのは愛するサムではなく、サムの妹ローズの姿ただ一人であった。
黒っぽいコートをはおった大柄のローズのふくよかで明るい白い顔には、似合わないほどの悲愴がただよっている。だが、ジョイの姿を見るや否や和らいだ。
「まあ、ジョイ!しばらく見ないうちに、あのオチビちゃんが・・・大きく立派になったのねー。お腹が空いたでしょ?ごめんね、遅くなってしまって」
ローズは黒いコート姿のまま、頑丈な腕でジョイを抱き上げ涙を浮かべて頬擦りする。
「ジョイ、頑張って兄さんのために・・・お隣へ行って助けを呼んでくれたんですってね。本当にありがとうね。あなたは小さな時から賢かったものね。兄さんにとって、あなたは可愛い子供だったのよね。さあ、お食事にしようね」
慈しみ深く話しながらジョイを床に置き、コートを脱ごうとして、初めて屋敷の寒さに気が付く。それでまたコートの袖に腕を通して、急いでジョイの食事の準備をはじめる。
食事をしているジョイを眺めながら話しは続く。
「ジョイ、これから私の家へ行くのよ。思い出がいっぱい詰まったこの屋敷を出て行くのは、あなたには辛いかもしれないけれど仕方がないの。また、神の思し召しならここへ戻る事もあるかもしれないけど、しばらくは、私の家で暮らそうね。あなたの妹のアニーを覚えている?あなたにそっくりの可愛い猫ちゃんよ。一緒に仲良く暮らそうね」。
そして、黙って何かを考えているローズであった。
やがて、再びジョイを抱き上げた。
「さあ、この部屋は寒いから早く出発しましょうね」
と、玄関のドアノブに手をかけたその時、ジョイが腕の中でもがく。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(15)
『どこへ行ってしまうのだろう』
ジョイの中では、怖れと孤独感が入り乱れていた。あの優しく愛情深いご主人が突然倒れて、眠ったまま運び去られた。
『あんなに苦しそうだったけど、僕が戻った時にはぐっすり眠っていた。どうして部屋のベッドに寝かせてはくれなかったのだろう?どこへ連れて行ったのだろう?』
しかし、答えが出て来ない。やがてジョイは、サムのいつもの穏やかな顔を思い浮かべ『すぐ帰ってくるさ』と、待つことにした。
 しかし、翌日もサムの声は聞こえず姿も現われなかった。静まり返った屋敷で、木枯らしに揺れる梢が窓に擦れる音を聞いては、玄関へ迎えに出てみる。物音を聞くたびに玄関へ走るジョイは、むなしく戻ることだけを繰り返す。
それでも『愛は信じるんだ!』と、自らに言い聞かせて奮い立たせていた。
 次の日はクリスマス・イヴで、街は賑わい美しく輝いている。クリスマスソングが遠くから流れて来る。夜の街は煌き、人々の笑顔はこれ以上ないというほどに優しく・・・そして聖夜を迎える。
しかし、冷え切った屋敷内に一匹だけでとどまっているジョイには、ただの騒音でしかなかった。ジョイはトレーに残っていた食事も食べつくしてしまい空腹のままであった。暖炉の火もなく寒い部屋で震えながら待ち続けた。寒さと空腹と寂しさに震えるクリスマス・イヴになった。水やりが途絶えたシクラメンは、まさに枯れいこうとしている。ジョイは大好きなサムの椅子に横たわり、その花達の衰退をぼんやりと眺めながら
『花は枯れるかも知れない。それでも、僕はご主人サムが大好きだ。僕のこの気持ちは枯れない。愛は信じるんだ・・・必ず、僕のところに戻ってくる』
と、何度も呟(つぶ)いて、自分を励まして今か今かと待つ。
寒さの中、ジョイの見る夢はサムがにこやかに目を細めて『ジョイや〜!今、帰ったよー!』と、玄関で茶色のコートを脱ぐ姿ばかりである。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(14)
世帯主である飼い主のマークが、小太りの体を窓から出す。
「おいおい!ピース!珍しいな、一緒に夕食をしたくなったのかい?」
と、愛犬に語りかける。だが、ピースの隣で、夕闇に光るジョイの眼に気が付いた。
「おや、ジョイだね。どうしたんだい?この寒い中を・・・」
と、不審そうに外に出て来た。
ピースは吠え続け、ジョイは滅多に出さない鳴き声を盛んに聞かせる。
その異常を感じ取ったマークは、広い庭を駆けて門へ向かう。ジョイは、塀の穴から自宅へ駆け込み、先回りして床に横たわっている主人の傍らに立った。
マークが、滅多に訪ねたことのない玄関で
「失礼します」
の、一言と共に入り、そこで目にしたのは、床の上で動かない隣人サムだった。
受話器からは相変わらずローズの声が響いていたが、その声は最早悲鳴となっていた。
その受話器を拾い上げたマークは、ローズに急いで電話を切るように説明をしてから、救急車を呼んだ。
それから心臓マッサージに励む。
「ジョイ!サムの神へ祈っておくんだ。祈るんだよ!早く!」
と、興奮で顔を赤らめながら叫ぶ。
しかし、ジョイには祈るという言葉の意味が理解できない。マークは、じっと立ち尽くしたままで、何の反応もないジョイの様子に気付き理性を取り戻す。
「あ、悪かった・・・ジョイ、すまん。君が猫だってことを忘れてたよ」
謝りながらもマッサージを必死に続ける。しかし、一向に老いたサムの体は動かなかった。
サムは、幸福の絶頂にいる微笑をうかべて眠っているようだった。健やかな眠りに入る直前の安らぎ感を得た瞬間に、彼の「時」が停止したのであろう。
その穏やかな表情は、悔いのない人生に終止符を打った者独特の死の表情だ。サムの七十年の生涯が、幸せで満ち足りていたのか、その核心なる部分を知る者は本人を除けば、地上には誰もいない。サム風に言うならば・・・まさにサムの仕えた神のみぞ知る、というところだ。そして、その神はご存知に違いない。サムが自分の息子のように愛した一匹の猫によって、生涯を懸けた己の理想の真理が勝利した。その輝かしい歓びの絶頂に、浸りつつ永眠に就いたことを・・・。
やがて救急車が到着し、サムは病院へと運ばれて屋敷を去った。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(13)
 冬の夕暮れは、急いでやってくる。ジョイが突然の電話のベルの音で目覚めた。サムを見ると、電話に駆け寄り受話器を外しながら、
「きっと、妹のローズだよ、ジョイ!」
と、愛する猫へ微笑みかける。
毎年、クリスマスが近づくと、けたたましく電話が鳴る。ただひとりの年の離れた妹ローズは、兄が猫と共にクリスマスを寂しく過ごすのを気遣って招待のために電話をかけてくる。
遠い田舎町に住むサムの妹ローズの大きな声は、受話器を持たないジョイにまで聞こえる。
「兄さん、だめですよ。また今年も来ないなんて。私たちがどんなに兄さんが来てくれることを、心待ちにしているかを分って貰いたいわ」
「いや、しかしねー、ローズ。君の家までは遠いのだよ」
「だから、今年は夫のセバスチャンが車で兄さんとジョイを迎えに行きますから、必ず来てくださいよ」
「ああ、そうかい。それなら助かるから・・・ウッ!ウーッ!ウーン!」
サムの右手から受話器が滑った。ジョイが右手で胸を押さえて苦しそうに身を横たえていく主人の側にすばやく駆け寄る。受話器の向こうでは驚きの余りに、パニック状態のローズの声がする。
「兄さん!兄さん!どうしたの?返事して!えっ!待って、待って落ち着いて!兄さーん!」
ジョイは、目の前で苦痛にもがく飼い主の顔をしっかり見つめて、耳を側立てサムの指示する声を待ってみる。
しかし、何の言葉も聞けない。ジョイは焦る。どうすればいいのだろう!電話の向こうのローズの泣き声が、床の上に落ちた受話器から響いている。
ジョイのドグリーンの眼が光り、身を翻して玄関へ突進する。ジョイは冬の早い夕闇の外へ駆け出し、隣家の庭へ繋がっている秘密の出入り口の小さな塀の穴を潜り抜ける。
そこは、ピースのいる庭。ピースは突然目の前に現われたジョイに驚くが、何か大変なことが起きたのだと本能的に察した。巨体を急いで起こし、真剣な眼差しをジョイに向ける。
『「どうしたんだい?ジョイ!何が起きたんだ?」』
『「お願いだよ、ピース!急いで君の飼い主たちを呼んでくれ!サムが倒れたんだ!」』
ピースは返事をする時間を惜しみ、飼い主の家族が食事をしているダイニング近くへ庭を猛突進し、外から
「ワンッ! ワンッ!」
と、あらん限りの力で吠え立てた。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(12)
『信じて良かった。やはり信じることは幸運をもたらすのだ』
と、ジョイは自らの信念と経験を通して悟ったのだった。
一週間前の雪の日、バルナバの訪問を受けてラファのことを聞いた最初の驚きと戸惑いのひと時に、答えを自分なりに考えて見出した。雪を漠然と眺めて捕らえた白い小さな塊を、屈み込んで観察した結晶は一片ずつ全て違っていた。
それは、まるで友同士でも違っていて当たり前と教えているようだった。であれば・・・互いを細かに知りつくすなんて出来ないのと同じではないのか?だからこそ、「信じる心が大切なのだ!」と、ジョイの心は導かれた。
そして、あの部屋のシクラメンの花は、トラブルで生気を失ったとはいえ、やはり同じシクラメンだった。では、ラファにどんな過去や噂があっても、変わらずにラファなのだ。ラファが別な猫に変わるわけではない。だから友人の自分に出来ることは「ただ、友を信じきることだけ!」なのだと導かれた。
まだ若いジョイは、ジョイなりの観察と推論から教訓を汲み取った。将来、彼が自らを振り返ったときには、きっと自然界から読み取ったつもりの理屈に合わない論理を思い出し、赤面するであろう。だが、今のジョイにとっては最善の洞察力による結論に至って最良の結果を生んだのだ。
心が満たされたジョイは衝撃を受けたあの日を思い出しつつ、クリスマスが近づき活気付いた家並みを横切り、元気に「セピアの館」へと向かった。
 その頃、サムは暖炉の火を強めて部屋を暖め我が猫ジョイの帰りを『今か!』と待ち詫びていた。
戻ったジョイの明るく輝くグリーンの瞳を見たサムは、安堵(あんど)に包まれる。体中から嬉しそうにして、ジョイを抱き上げる。お蔭でジョイは砂マットで足を拭くこともせずに、ほかほかの暖炉にゆるりと置かれて座り込んだ。
『何と暖かいのだろう!』
ジョイはいつの間にか、ブルーの全身の力を抜きうたた寝をする。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(11)
『「おっ!そこ行く二匹さん。寒さで声が出なくなっているようだね」』
バルナバが明るく声をかける。
ラファが答える。
『「バルナバ、本当に君はピエロだね。僕とジョイはすっかり温まっているんだぜ」』
と、安らかに微笑む。
ジョイがバルナバに語りかける。
『「バルナバ、君はどうしてここに僕達がいることを知っていたんだい?待っていたのだろう?」』。
バルナバは楽しそうに、体を左右に揺らしながらからかい半分に答える。
『「そりゃあ、君達の未来のワイフ達が話してくれたのさ。ラブとメイは、集まりの目的を前もってリーダーから聞いていたそうだよ。メイの証言と外出には、飼い主の許可が是非とも必要だからと言うことでね」』
『「それは、本当かどうか分らないなー」』
と、ラファもからかい半分に応じる。
すると、バルナバがジョイを横目で見ながら
『「真実は本人だけにしかないんだよ。だから、ただ信じることだね。何があっても友情は今までどおりさ、変わらないんだ。そうだったね?ジョイ!」』
と、微笑む。
ジョイは自分の語った口調どおりに真似て語るバルナバに可笑しくなり、危うく凍っている塀の隅っこで滑りそうになる。ジョイが笑い出し、バルナバも笑い出す。ラファも何が何なのか分らないまま笑い始める。
冬の真昼時、晴れた空の下で木枯らし吹く中を
「ンーグー、ンーグー!」
と、いう猫の笑い声がアルトベイク市の町に響く。それは若い猫たちの青春の笑い声である。同時に、友情の勝利を意味する歓びの声でもあった。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(10)
リーダー猫とパームの会話が続く。
『「パーム、君はね。噂を流して中傷するという大きな過ちを犯したのだよ。考えてご覧。君がラファエルの過去を噂したことは、その過去以上の罪に値するのだよ。過去は、全く問題ではないのだよ。我々猫グループの大切な掟は何でしたか?」』
『「あ、はい、えぇーと愛です」』
『「その愛の最後の言葉を思い出してみようかねー?パーム!」』
『「えーと、愛は他の者を尊重し、不必要に干渉せずに信じる・・・信じる。ごめんなさい・・・やっぱり、僕が間違っていました。ラファ、ごめん。君のことを信じるべきだったよ、僕は」』
パームは泣き崩れる。
リーダー猫がさらに優しく言う。
『「パーム・・・愛は信じる!とても簡単に言えるけど、信じる心を持つことは、とても大変な努力が必要だね。たとえ、ラファエルが過去に過ちを犯したとしても・・・あくまでも仮にですよ。きっと誰にも理解できない深い事情があったに違いないと考えてみることですよ。しかも、それを背負って生きているラファエルを尊重しようではないかね。ではー」』
と、最後に四匹目の猫へと、話は渡される。
『「さあ、さあ、これで集まりは終わります。この件を皆に話してください。皆さんご苦労様でした。寒いので気をつけて帰りましょう。来春の集まりを楽しみにしましょう」』
最後のリーダー猫の爽やかな言葉で終了した。
 十一匹の猫たちは、寒風の中で素晴らしい結果をみた集まりで温かな気持ちを抱き、それぞれが家路へ向かう。ラブはメイをかばうようにして公園を後にした。
 ジョイはと言うと、リーダー猫達に感謝の念を感じつつ、親友ラファと共に無言のまま歩き始めた。
二匹は、何も語らなくても気持ちは同じだった。そう、集まりの開始直前にベンチの上のジョイとその前に立ったラファの眼が合った時から・・・。
公園を出て曲がり角の塀へ登る地点まで来ると、そこには少し離れ気味に揃ったゴールドの眼を輝かせるピエロのバルナバが待っていた。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(9)
ラブが隣で励ます。
『「大丈夫、大丈夫よ、メイ。よく話したわ、凄いわーメイ!」』
と、嬉しそうに語る。すると
『「オッホン!静粛に!無関係な猫の勝手な発言は、ここでは出来ませんので慎んでいただこう」』
どうやら、ここにラブが来ているのはメイの単なる付き添いらしいと、ほっとするジョイ。
そしてリーダー猫の質問は続く。
『「では、次にパーム!君は、メイ宅の火事は放火であると友人達に話しましたね?その根拠は何だったのですか?」』
パームは、その茶色がかったクリーム色の体を冬の寒さの為に普段より濃くしていた。スリムなその身は心なしか震えている。
いつもの流暢ではきはき動く舌が、この場では重くなってしまっていた。それでも、ぼつぼつと話し出す。
『「昔、放火事件があったそうで。その時の犯人が、また同じことをしたのではと思いました。放火犯は繰り返すことが多いと聞いたので・・・」』
『「その放火犯とは、誰のことを言っているのですか?」』
『「あの、それは・・・あの・・・」』
とパームは、黙ってしまった。老猫が今度は、トミーの方へ首の向きを変えて質問する。
『「トミー!君は、パームから、放火犯の名前を聞きましたね。それは誰でしたか?」』
『「あっ!はい・・・あのう、ラファエルだと」』
トミーは低い声で答える。
『「そうなのですか?パーム!」』
リーダー猫の質問が、またパームへ戻る。パームに、少しずつ反省の様子が伺えたのか、今度はリーダー猫が同じ質問を、優しく尋ねる。
『「そうなのですか、パーム」』
『「あ、はい・・・そうです。すみません」』
と、パームは自分の前肢(まえあし)にある黒いポイントに眼を落とす。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(8)
 六匹の猫たちを前にして、ベンチの上のリーダー猫の一匹が口火を切る。
さきほどまで寒さに震えていた老猫だ。
『「これは、儀式ではないので合図は省きます。早速ですが皆揃ったので本題に入ります。ではー」』
と、次のリーダー猫へ発言を促す。まるで軍隊のような規律正しさで集まりは進行していく。
二匹目の老猫が説得力のある話し方で始める。
『「この度は、この街の我々猫グループにおいて、聞き捨てならぬ噂話に翻弄(ほんろう)されている仲間が増えてきていますのじゃ。集まりが開始される春まで待とう、と言う意見もあったのじゃが、なにしろ重大過ぎる噂であるので、猫社会に分裂が生じておる。噂を信じる猫と信じない猫との争いまで起こっとる。
それで、ジョイを除く我々で調査をさせて貰ったのじゃが・・。ま、ジョイを除いたのは、噂の的であるラファエルの親友であると言う理由からじゃ。公平でいることが難しかろうと思ってじゃなー。そして真実を突き止めたので、今ここで明かすことにする。
それでじゃ、君達六匹がこれから出会う猫、出会う猫、全ての仲間に、自分の口から伝えるようにして欲しい。そうすれば、春の集まりが開始される頃には、噂話による悪影響は仲間全体から解消されているだろうと考えたのじゃよ。これは、裁判ではないので誤解のないようにして貰いたい。裁く権利など同じ仲間の猫同士にはないからのう。正直に答えて協力して欲しいのじゃ。ではー」』
と、次の三匹目のリーダー猫へとバトンタッチが行われる。
彼はおもむろに語りだす。
『「では、ローズメイ!あなたの家の火事の原因は何であったと、人間たちは結論したのかね?一応この場にいる皆の前で話してください」』
ローズメイは隣のラブからうながされて話し始める。
『「はい。人間の警察の話ですと・・・暖炉の前に散らばっていた干草の一つに暖炉の火が点火して、そこからまた干草のくずへと移って・・・やがて絨毯(じゅうたん)にまで広がったことが分ったそうです」』
と、語りうつむいてしまう。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(7)
ジョイの胸の内は、複雑だった。
『一体何が起きるのだろう。パームが来ていると言うことは、例の放火事件に関することだろうか』
ジョイには、この集まりの目的を知らされてはいなかった。しかし、複雑な思いはまだこれからであった。
ジョイは大木の根元にあるいつもの古いベンチの前にいる三匹の姿を見て、まん丸の眼を大きく見開く。
何と、ラファエルとローズメイとラブがベンチに向かってきちんと立っているのだ。ジョイの細身の体の中で、複雑な思いは不安に変わっていく。
他の四匹と共に、リーダー猫の一匹としてベンチに立ったジョイの眼は、先ずラファへ注がれた。ラファは、プリンスの異名にふさわしくブラウンの身をすっくと起こしている。つま先立ちでいる姿は非常にエレガントだ。いつもの額にあるM字模様もそのままだ。しかし今、ジョイにとってはラファの全てがなぜか辛かった。が、ラファの鼻の小さなくぼみを見た時は、不思議な安堵感を覚えた。
ジョイと眼があったラファはひそかにではあったが、微笑む。
『えっ?ラファよ、僕は安心していいんだな。親友として君を最後まで信じ続けるぜ』
心の中でジョイは語りかける。
もう一つ、ジョイの不安の対象はラブである。
『なぜ?ラブは何のために、ここに呼ばれたのか?事件と何の関わりを持っているのか?』
ドキドキする胸を抑えてラブをチラリと見てみた。
ラブはというと、いつもどおり温かそうなふさふさ毛を冷たい風に任せたままお茶目な表情でジョイを見返した。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(6)
サムは、猫が笑うなどと想像だにしない。二匹の発する奇妙な「ンーグ、ンーグ」と、言う声に関心を持ち、傍に寄って来て不思議そうに二匹を眺めた。
またしてもバルナバがサムへサテンのようなダークレッドの体を摺りつせて「ニャ〜!」と、小さく鳴き、玄関へ向かった。
そして、サムは最初以上に嬉しそうに肩をすくめながら、後を追いかけて扉を開けてあげる。ジョイは止みかけた雪空を斜めに見て、ほっとしてバルナバを見送る。冬の午後の出来事であった。
 雪はその後、降ったり晴れたりを繰り返していた。そして、一週間後の晴れた冬の朝空へ「ンーニャー!」の声が上がる。
一部の猫たちを集めるための『猫式連絡網』である。各縄張りから縄張りへと声が上がった。
ジョイは届いたその合図で、心配顔の飼い主を後にして、いつもの公園に出かける。昼近くであった。
地面は乾いているが、昨日までの残雪が道路脇に積もっている。秋までに軽やかに渡れた塀は所々が凍り付いていたので慎重に歩く。
公園の花壇には、クリスマス・ローズの花が赤・白・黄色・ピンクとランダムに植えられていた。冬空の下で華やかに目立っているにもかかわらず、慎み深そうに下向きに咲いていた。
公園の入り口付近で、到着を待っていたのは、老いたリーダー猫一匹である。彼が連絡網を通して、召集をかけたのだった。
寒そうにブルブルと震えながら、ジョイをにこやかに迎える。
『「もう少し待ってくれるかね、ジョイ。あと三匹が来る予定なのだよ」』
と、またブルブルッ!と黒っぽい老体を震わせた。
『「あ、来た来た。では、参ろうかね」』。
その言葉にジョイが振り向くと、現われたのは噂話の名人シャム種のパームと社交家スコティッシュフォールドのトミー、そして彼の友人の雄猫の三匹だった。
『「さあ、さあ、早くしてもらっていいかな」』
と、寒さに震える老猫が急かすので、既に他の猫達が集まっているベンチへと向かう。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(5)
バルナバはジョイに懇願を始める。
『「頼むよジョイ!何とか言ってくれよ。どうだったんだい?あの日の火事現場のことを忘れたわけじゃないだろう?」』
ジョイは黙って、窓越しに降る雪の織り成す白いカーテンを眺めた。先日、寒さをこらえて雪をまじまじと観察した時のことを思い出していた。離れて眺めれば白い冷たい塊だけど、その一片一片の小さな結晶の形は全部が違っていたのに驚いたのだった。
バルナバの方は、じっと何かを考えているジョイをみつめて言葉を待つ。
ジョイは視線を部屋に戻し半時ほど前に、サムにつぶやかれたシクラメンへ向けた。元気がなくなってきていたが、昨日も今日も同じそのものの花に違いない。透き通るような淡いピンク色に濃いめの赤が縁をそっと染めている洒落(しゃれ)た花色も変わっていなかった。
ジョイのブルーに輝く背中に暖炉の炎が映り、ゆらゆらと揺れている。やがて、ジョイの眼がきらっと光り、ロシアンスマイルの口が開く。
『「バルナバ、僕にも君にもラファの真実は、何も分らないんだ」』
『「何を言い出すんだい、ジョイ!君なら、ラファが放火犯じゃないと証言して救えるんだぜ!」』
と、焦るバルナバ。しかし、ジョイは続ける。
『「でも、やっぱり・・・常に真実は本人だけにあるんだよ。ラファが放火を否定せず認めもせず、君に沈黙したのには、深い事情があるに違いないんだ。おそらく、ラファ自身は過去の前科や今回の件についても、アームが流している噂を耳にしていると思う。それでも沈黙しているんだ。なのに、親友の僕達にも言えない事情の何かを、僕達がさぐり当てる必要があるだろうか。バルナバ!僕達はラファを、ただ信じよう。何があっても、今までと同じ友情さ。君と僕とラファそのものは、何も違わないんだよ」』
『「ジョイ、君は友達が逆境にいるのに、何もしないで見てるというのかい?」』
『「そうだよ。ただ信じるんだ。あとは何も変えないんだ」』
ジョイは毅然(きぜん)として語り終えて、バルナバの感情を征服する。
『「オーケー、わかったよ、ジョイ。いや何も分らないけど、そうするよ」』
『「ありがとうバルナバ。君はやっぱり愛する猫だよ」』
と、微笑むジョイに、ピエロの異名を取るバルナバが、すかさず
『「いえいえ、愛する猫は僕じゃないだろう、ジョイ。愛する猫は、文字通りラブじゃないの?」』
と、笑い出す。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(4)
その声を訊いたサムが驚いて、読んでいた本を手にしたまま駆け寄って来る。
「おい、ジョイや〜!どうしたのかね。大丈夫かい?」
不安げにジョイの首元を撫でる。ジョイは気を取り直した。
常に「愛と勇気」を持って生きたいと願うこのロシアンブルーには、正義感が溢れていた。義憤と愛する親友ラファエルへの熱い友情が心の中で衝突し、哀しみとなって呻きを発したのだった。
それでもジョイは激しい感情をおさえて、いつものスマイルをサムへ湛えて見せる。サムは安心して椅子に戻る。
ジョイはバルナバに状況説明の続きをうながした。
バルナバは、ふーっ!と深呼吸をした。彼とて辛く、困惑していた。だからこそ、凍死するかもしれない雪道を駆けてきたのだ。
バルナバは、続きを話し出す。
『「僕は、ラファを信じている。だから帰宅するとすぐに彼の家に行ったよ。過去のことは何も聞く必要がないから、それについての話題は外したさ。問題は、メイの家の火災の放火だからね。単刀直入に聞いたら、彼は一言だけ語ってくれたんだ。それが、それが、ジョイ!君に、メイ宅の火事の現場で目撃していたことを聞いてくれ、と言う事だけだったんだ。どういうことなのか、ますます分らなくなったよ。だから、教えて欲しいんだ。あの日、ラファの何を目撃したんだい?」』
ジョイは答えられなかった。なぜなら、あの時自分が火事の現場に着いたときには、既にラファはそこにいて炎上する様子を眺めていたのだったから・・。しかし親友ラファを信じていた。
『彼は決して放火をするはずがないではないか。火事の前日には、メイの救出行動をすすめたラファではあったが・・・あの穏やかさで猫社会トップの彼が、そんな犯罪を侵すはずがないではないか?』
それでもジョイは、バルナバに返事をためらった。
重大な証言になるからである。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(3)
後ろの椅子で読書をしながら聞いているサムには、若い二匹の猫がなごやかな語らいを楽しんでいるものと思えた。しかし、二匹の間では、真剣なバルナバの説明が始まっていた。
話はこうである。
 昨日、バルナバは社交的な猫仲間の、愛称トミーと同じ車に乗り合わせた。彼らの飼い主同士が仲良しで、度々そうした機会があるのだという。共に後部座席で、猫同士でいつもどおりの会話がなされた。社交的なトミーは、仲間との交際も多く、話題は豊富だ。
やがて、話題はローズメイ宅の火災事件になった。トミーが気の毒そうに言い出した話によって、バルナバは大きなショックを受けたという。
何と、メイ宅の出火原因は、放火ではないかという噂があり、その犯人はラファエルだ!と、言うのである。
『「そんな馬鹿な!ラファは、メイを助けようとして命がけで火の中にまで飛び込んだんだぜ」』
と、語るバルナバに対して、トミー自身が聴いたという噂は、さらに胸が痛むものであった。
トミーは憂いながら、気の毒そうに言った。
『「ラファには、実は自宅への放火の前科があるそうなんだよ。前の飼い主はそれで焼死したらしいぜ」』
バルナバは、しばらく言葉が出なくなってしまったが、やがて自分を奮い起こして尋ねた。
『「その話は、誰から聞いたんだい?」』。
『「君も知ってるパームさ。彼は猫社会における個人情報のエキスパートだろう?」』。
『「彼か。あの口軽のパームなら言いそうだな」』
と憤り、思わず口走ったバルナバだった。
 ここまでの、説明をじっと聴いていたジョイが珍しく低い声で鳴く。悲しそうに押し殺したサイレントボイスは猫の鳴き声ではなく、
「ウーウゥ・・・」と、言ううめきであった。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(2)
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そして『ジョイの様子じゃ、花ではなく・・・わしの方が頑張らねばならんのかもしれんな』
と、老いた体に囁いたのだった。
その時、
「ニャーニー!ニャーゴー!」
猫式「縄張り友情」を求めるマナーの挨拶がドアの外から聞こえてきた。ジョイはこの雪振る中を誰だろう、と急いで玄関へ向かう。
追いかけるサムがドアを開けると、そこにいたのは雪の衣に包まれた親友バルナバだ。
「ブルブルッ!」
雪を全身から払い、ダークレッドの体に戻りながら、
『「やあ、ジョイ!驚いたかい?」』
と、陽気に笑うバルナバ。
『「バルナバ!とにかく入るんだ、君はいつから雪遊びが好きになったんだい?」』
と、ジョイ。サムが暖炉の前に二匹の席を準備してくれる。そのサムに対してバルナバが「ニャー!」の一声と共に、足元へ小柄な筋肉質の体を軽く甘えるように摺りつけてから、暖炉前に座る。
さすがに老人を慰める天才猫バルナバの流儀に、ジョイは感心する。嬉しそうに肩をすくめるサムを背にして、二匹の会話が始まった。ジョイがねぎらうように語り出す。
『「こんな雪の中を通って、僕の家までたどり着くのは大変だったろうね」』
『「いやー、沢山の人間が通りを歩いていたよ。クリスマスシーズンとあって、忙しそうにね。だから、危険はないさ。でも、やはり猫仲間には全く会わなかったよ。おかげで面倒な縄張りご免友情の挨拶は不要だったから、スムーズに来れたけどね。勿論ラブにも会わなかったぜ、ジョイ!」』
親友ジョイをからかうバルナバ。一瞬、金の首輪を恥じらうかのように揺らしたジョイであるが、
『「退屈していたから、遊びに来てもらって嬉しいよ」』
と、歓迎をあらたに深める。
『「残念ながら、今日は遊びではないんだよ。実は、我らのプリンス・ラファエルの一大事でね。君に是非聞いて確かめたいことがあったのさ」』
バルナバがいつになく真剣なゴールドの眼をジョイに向けはじめる。

テーマ:ジョイ猫物語 第三章(1)
三章「愛と信じる心」
 
冬のある日、太陽が柔らかな日差しを控え始めていた。どんよりした雪雲が毛布のように街を覆う灰色の冬の午後である。[
「セピアの館」では、暖炉の火がパチパチとはじける音を立てながら、サムとジョイを芯まで暖めていた。
うとうと!と、サムは深緑色の毛糸のカーディガンに深々と埋もれ、ロッキングチェアーで揺れながら居眠りをしている。ジョイも少しづつ数が増してくる雪の舞を窓越しに眺めていたのだが、やがて静けさに時折響く暖炉の音色が遠のいて、心地良い眠りに入った。
気持ちの良い昼寝をどれほどしていただろうか。
「ワン、ワン!」
と、元気に雪と戯れる隣のピースの嬉々とした吠え声で目が覚めた。
「ジョイや。お前はピースのようにはいかないねー、冬は」
同じようにうたた寝から目覚めたサムが優しく微笑む。雪が降り出してからは、猫たちの活動も冬休みになっている。集まりも春まではない。隣の親友犬ピースとの遊びも、寒さで減ってしまっていた。春が待ち遠しいジョイだが、穏やかでゆったりした冬の毎日も悪くはなく、むしろ喜びだった。
サムが「ヨイショ!」と椅子から立ち上がり、窓辺にあるピンク色のシクラメンの鉢の前に立った。
「おや、おや、これは困ったぞ。そうか、最近は午後になってから、水を遣っていたから鉢底に水が残っていて凍ってしまったのだな。やれやれ、がんばっておくれよ」
と、花に対して申し訳なさそうな顔をして話しかける。
ジョイのグリーンの眼が一瞬曇る。彼の賢い頭の中を一つの心配がよぎる。そう言えば、早起きのご主人がこの二・三日、珍しく寝坊をしているのだ。生まれて初めて見る飼い主の朝寝坊だ。心なしか最近、白髪と皺が増えてきているサムをじっとみつめながら観察するジョイ。サムは、自分を凝視するジョイの眼を感じて驚き首をかしげる。そして、微笑んで応じる。
その温かな笑顔を眺めたジョイは、安心して座りなおした。
『年齢も重ねてきているし、この寒さだから早く起きられなくても不思議じゃないや』
と、ジョイは結論した。ところが、サムのほうは、動物の鋭い感覚をある程度信じる人間だった。サムの観点からすれば、危険が身に迫っている時に発揮する動物たちの予知力も信頼できるものだった。
『ジョイは、自分の危険を予知したのかもしれない』
と、サムは思った。
その時、彼は自らの脳の片隅を、冬の木枯らしの泣き声のような音色が通り過ぎるのを聞いた。

テーマ:ジョイ猫物語 第二章(14)
 帰り道、ジョイは自分達リーダー猫の失敗から、危うく命を失うところだったメイとラファエルの姿を思い出していた。そして、権力を行使するための自らの経験の足りなさを認めた。
年長のマリアの提案にもっと耳を貸すべきだった、と後悔の念が彼を襲う。他の者の家庭の事情も知らずに「愛」という名の下で権威をかざし、性急に行動することの悲惨な結末を知ったのだった。
実際、その通りであった。複雑な一匹ずつの事情を、いったい誰が見通すことが出来るであろうか。同じ集団に属するからといって互いに見える表面から推測しあっても、不可能なのだ。
ジョイ自身、メイの事情は勿論、友人ラファエルの抱くメイへの感情も知らなかった。権威と言う力に基づく自己過信は、過ちへと辿(たど)る早道なのであった。
多くの大切な教訓を、メイ宅の炎の事件から学びとったジョイの成長は、初冬の夕暮れの道を戻るしなやかな体に見えるだけではなくなった。どこか穏やかで控えめで謙虚(けんきょ)になっている。ジョイは自分なりに、愛と謙虚と責任のバランスの難しさを学んだ。
 だが、まだまだ幼く若いジョイである。健康な思考は、やがて青春の真っ只中へ向かう。明日は、友人の猫ラファエルやバルナバと遊ぶ日だ。
『明日は木登りと、それから尻尾追いと爪とぎだ』
その場面を想像しながら梢だけになったハナミズキ通りを、喜びの猫ジョイは急いだ。
今か!今か!と待つ心優しいサムのいる温かなセピアの館へと。

第二章 終わり 第三章へ続く

テーマ:ジョイ猫物語 第二章(13)
訪問者は白い毛の若い雌猫ラブであった。若い雌猫が一匹で若い雄猫を訪ねるのは、特別の場合であり、珍しいことなのだ。猫社会では、非常に勇気のいることである。
急いでドアを開けたサムの足元をすり抜けてジョイの前に立つラブは、鈴の音のような美しい声で歌うように話し出す。
『「ありがとう〜ジョイ!メイがとても嬉しそうだったの。心に秘めていた悩みを打ち明けられたリーダー猫は、あなただけだったそうなの。黙って親切にきいてくれたんですってね。メイの友人として私は、あなたに感謝の言葉を言いたくって、思いきって訪ねてみたの。本当にありがとう」』
そう述べてから、恥ずかしそうにすぐに立ち去った。ただ感謝を表しに来たラブ。
だが、この感謝の一言は、ジョイにとってどれほどの慰めになったのかを、おそらくラブ自身は知らずに帰った。
ジョイの眼が輝き出し、サムに食事をねだり始める。
「おやおや、急に食欲がでてきたのかね?ジョイも、そろそろ恋の季節かね。それにしては、今は冬じゃがの」
笑いながら、ほっとした表情でジョイの食事の準備に動き出すサム。恋の予感は別にして、ジョイは思考ループから脱け出すきっかけをラブから貰ったのであった。
 翌日、ジョイはリーダー猫達と猫式連絡網を活用して、夕暮れ前に公園の木陰で集合を約束した。リーダー猫五匹だけでの話し合いである。若いジョイの語る内容に、真剣に耳を傾ける猫達にジョイが懇願したのは、ローズメイに五匹で謝罪をしたい、というものだった。
そして、今後の「愛の掟」の斉唱に加える言葉を提案した。それは、あの老猫マリアがジョイに語った言葉そのものだ。
それは
「愛は、他の猫を尊重し、不必要に干渉せずに信じて見守る!」
他の四匹は、すぐに賛成したのである。

テーマ:ジョイ猫物語 第二章(12)
メイは続ける。
『「私は恩あるご主人に迷惑をかけられない、と昨夜決心しました。むしろ、前の家に戻って、虐待で殺される方を選んだのです。ところが、向こうの家に着く前に夜空に赤い炎が見えたので引き返したら、この災難でした」』
話し終えたメイは、ジョイに一礼の「ニャーニー!」
を、残して去り婦人の腕の中に飛び込んだ。
ジョイの全身に朝陽の昇る直前の寒さと深い後悔ゆえの戦慄(せんりつ)が走る。
 朝陽が昇るまで一睡もせずにジョイを待っていたサムは、ジョイの無事の姿に灰色の目を細めて大喜びである。心配の余り乱れていた白髪交じりの茶色の髪を、元気にかき上げた。しかし、我が猫ジョイの歩き方と輝きの失せたグリーンの眼を見て異変に気づく。それでも何も問うことはせずに
「ジョイや、ゆっくりお休み」
と、いつも通りの声がけをして、寝室へ向かった。
主人に向って尻尾をゆるゆると振る元気もないジョイは、眠ることも出来ずソファの上で、次第に明るさを増していく初冬の空を眺めていた。そろそろ、舞い散る葉っぱもなくなり白樺の樹だけが朝陽にそっと挨拶をしているかのように見える。
『愛って何だろう、勇気って何だろう。本当の愛、本当の勇気とは?』
ジョイの頭の中を、帰り道からこの考えだけが空回りしていた。無限のループに入り込んだように、この疑問から脱け出せずにいる。やがて深く考えているつもりが、眠り込んでしまう。
「ん!」と、眼が覚めると午後になっていて、そばには微笑んでいるサムの顔がある。
「目覚めたね、ジョイ。愛と勇気の話がいいかな?それとも食事がいいかな?」。
ジョイが立ち上がり金の首輪をキラリと光らせたのを見て、食事よりお話を選んだことが分り、愛情深いサムは膝の上にジョイを呼ぶ。そこへ
「ニャーニー!ニャーゴー!」
が、聞こえてくる。

テーマ:ジョイ猫物語 第二章(11)
火災は、ほぼ全焼に近かったのだが・・・やがて鎮火し真っ赤な火焔の生き物は死に絶えた。
鎮火を見届けてから、ジョイの視線は飼い主の婦人とローズメイへ向いた。バルナバとラファエルが互いにからかい合って帰る姿と見比べながら、
『婦人とメイに対して、自分は大きな間違いをするところだった・・・』
と、心が打たれる。焦げくささの中、呆然と立ったままみつめるジョイに気が付いたローズメイが、うつむきながら近づいて来る。対応に迷いながら、ジョイは声をかけた。
『「大変だったけど、無事でよかったね、メイ」』
『「ありがとう。でも、なぜ家にいなかったのか?と、たずねないのですか?」』
と、視線を背けて語るメイ。何も答えないジョイに彼女は堰(せき)を切ったように、しかし遠慮がちに話し出した。
『「私は、昨夜遅く・・・以前の飼い主の家に向かい出かけました。なぜだと思いますか?」』
『「さあ〜」』
と、気まずそうに答えるジョイ。
『「先日の集まりで、私が虐待されているので今の飼い主から救出するという決定がなされたと、お隣から聞きました。私が、いつも干草のごみを体につけているからだと。でも、でも、私は一度だってリーダー猫たちから、その事情について尋ねられたことはありません。実は・・・私は、以前の飼い主からの虐待で心の病気を患っています。小さい時、虐げられて逃げていた場所が、刈り入れ小屋の干草の中でした。そこだけが安心して眠れる所だったのです。今の飼い主は、そんな私に気が付いて無理やり引き取ってくださったのです。今は、大事にされて暮らしていますが・・過去のトラウマがうずき、不安から干草を求めるのです。それで、私のベッドには、今の優しいご主人の配慮で干草が積まれています。飼い主は立派な部屋が干草で散らかっているにもかかわらず、私のために・・・」』
飼い主への感謝にむせぶメイは、それ以上話せなくなったが、気持ちを奮い起こしてまた続ける。
『「それなのに、あなた方リーダー達は、私のためとはいえ・・・親切きわまりない私のご主人を裁いて、私を引き離そうとしたのです」』。
ジョイは胸が痛み、何も答えられなくなっていた。

テーマ:ジョイ猫物語 第二章(10)
祈りが聞き届けられたのであろうか、ピースがラファエルをくわえて赤いスクリーンから抜け出したヒーローのように炎の中から現われた。
「わあー!」
と、歓声が上がる。しかし、ラファエルを置くとすぐ燃える家の中に引き返す。
ピースを目がけてホースから援助の水がやわらかく掛けられる。ジョイを初め皆は、次に現われる白いローズメイを期待した。飼い主らしき婦人は、涙に曇る目を拭い拭い大きく見開いた赤く腫れあがった瞳に、やがて写る我が猫を待ち望んだ。固唾(かたず)を呑んで群集が待つ中、遂に現われたピース!
しかし、ピースの口にはローズメイの姿はなかった。
ざわつく人々そして猫達。気が狂わんばかりに全身を震わせて泣き崩れる婦人。
しかし・・・婦人が倒れ込むように地面に伏せた途端!その声は歓喜に変わる。
「おお〜メイ!生きていてくれたのね。おおー神よ、感謝します!家はすぐ建て直せるけれど、あなたの命はそうはいかないの。生きていてくれてありがとう!」。
何ということだろう。メイは、家の中には居なかったのだ。干草の匂いの付いたカールの耳を婦人の泣き顔に押し付けて「ミィーミィー!」と、鳴く。
ジョイとバルナバそしてラファエルは、驚きの余り口が利けなくなってしまう。プリンス・ラファエルは、焦げた毛の身体を忘れて男泣きを始める。バルナバがそっとジョイに耳打ちをした。
『「プリンス・ラファはね。なにしろ、密かに恋するローズメイの無事だからね。泣いちゃうさ」』
初めて知ったジョイ。
『そうだったのか・・・』。
ラファエルの、無茶と思えるほどの勇気ある行動の全てが納得できたジョイ。ピースの方を眺めると、人々の群集に取り囲まれて撫ぜて貰っている。またしても、英雄ピースなのだ。

テーマ:ジョイ猫物語 第二章(9)
その時、ジョイが傍にいる事に気がつきもせずに炎をみつめていたラファエルが突然、バケツを持ってうろうろしている一人の男性に向かって走り出した。彼は、バケツに体当たりし水を浴びる。
水浴びの好きなラファエルの行動に慣れているジョイだがまさか?その後、彼が燃える炎を怖れずに家の中に突っ走るとは、予想だにしなかった。
すぐ後を追いかけるジョイは、火を恐れる心は制したものの、余りの熱さと体の毛が焦げる匂いに屈して途中で引き返す。
ラファエルの姿は、全く見えなくなった。余りの突然の状況にジョイは我を忘れて、
「ニャーゴー!ニャーゴー!」」
と鳴き叫ぶ。
だがジョイの鳴き声は空しく、騒音にかき消されてしまう。
まるで赤い大きな生き物がラファエルを、舌ですくい呑み込んだかのようであった。
「ニャーゴー!ニャーゴー!」
哀しみを絞り出すように再び鳴くジョイの鳴き声を、あざ笑うかのように赤い生き物は膨れ上がる。
 なす術もなく、苦痛と哀しみに鳴き続けるジョイの隣に・・いつの間にか、身を寄せてきたのは、バルナバと大型犬ピースである。後から火事現場に着いた二匹の耳に入ってきたのは、
「猫が、火の中に飛び込んだぞー!」
と、いう叫び声である。同時に、消防車がようやく到着した。
 その瞬間、ピースが庭の池を目がけて猛スピードで駆け出し「ザブーン!」と飛び込む。
巨大な濡れ鼠になり、そのまま猛突進で燃える家の中へ駆け込んでいく。その敏捷(びんしょう)さは、大きな体にもかかわらず、周囲の人々の気が付くのを遅れさせる程であった。誰かがやっと気づいた。
「今度は、大きな犬が火の中に飛び込んだぞー!」
そう叫んだときには、消火開始がなされて水がホースから噴き出しはじめていた。ジョイとバルナバは、ただ祈るのみであった。
バルナバが何度も唱えるように繰り返す。
『「出て来い三匹!出て来るんだ〜三匹!さあ、今だ、出て来い!」』



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